ロスジェネ・バーテンダー 昭和55年式

元ニート、社会不適合者がワインバーを創業するに至った経緯・体験・想いなどを飲食業やバー創業を志すアナタに捧げます。遺書というか自伝というか。。。

【day 1】 流されるまま・気のままに

30近くになるまで、バーの店員になるとは思っていなかった。

 

もともと暗い「いじめられっ子」のオタクだ。

 

小学校の文集に夢はタクシー運転手と書いた。

ピカピカの1年生の頃は科学者と書いていたか。

 

1980年、神戸のケミカルシューズの街に生まれる。

団塊ジュニア世代というやつだ。

 

やや「左より」の教育を受けた。

 

のびのびと、のんびり育てられたせいか

他人に対する警戒心が薄かった。

 

けっして裕福ではなかったが、愚鈍な「お坊ちゃん」だった。

生き馬の目を抜く社会というものは知る由もない。

 

コンプレックスもなかった。

「勝ちたい」という気持ちもなかった。

 

子供のころの清々しい気持ちは

小学校低学年までだった。

 

「いじめ」や 競争が始まる前の話だ。

 

両親は純粋な人間だったが

祖父母はそうでもなかった。

 

純粋な人間に育てられた自分は甘かった。

2~3代前に田舎から出てきた人間は人を見る目がない。

 

40代を目の前にして

ようやくやっと人がどんなものか分かってきたのかもしれない。

 

ファミコンが友達だった。

他人と関わりたくなかった。

 

今でこそ普通の事だが

「個」という概念を若くして理解した。

 

しかし、希望して個になったかというと、それは違う。

わずらわしさから逃げて没頭したかった。

 

自分の強さは、あの頃のファミコンをしている時と変わらない。

 

ゾーンに入りたい。

暗いあの部屋でゲームだけに集中すればよかった時代こそ青春だ。

 

もう少し色っぽい何かがあっても良いように思うが

ゲームやコンピューターの技術の発展を黎明期から体験できたのは

ロスジェネだけど、その点だけは恵まれていた。

 

中学はブラック部活が大半だった。

 

断固として拒否した。

 

理科研究部という帰宅部を選ぶ。

 

独自路線に恐怖を抱かなくなった。

 

のちのち、人付き合いで苦労する事になるのだが

処世術を学んでおけば楽だったかもしれない。

 

でも、迎合するなんてまっぴらごめん。

 

流されたくないという気持ちは

流されやすくなるという素地を作った。

 

(今回はここまで)